2006.12.23(Sat)
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はじめに■
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第19回《書かれた音楽に自分なりの意味を持たせるということ》
前回までは解釈について述べて参りました。今回はそれと少しかぶるのですが、「論理的解釈」に根拠を与えうる一因であり、あるいは逆に「論理的解釈」の末にたどりつく結論ともなる、すなわち表裏一体と言える「音楽のイメージ」について述べたいと思います。
よく、先生に「この曲はどういう曲なの?」とか「ここはどういう場面なの?」とか聞かれて答えに詰まったことはないでしょうか。
ある一つのフレーズまたはいくつかの連なるフレーズ、あるいは前回出てきたフレーズが2回目は変化しているときなど、そこに何かの意味を見いださなければなりません。
今回は例としてリストの超絶技巧練習曲より第4番「マゼッパ」をとりあげます。
この曲はウクライナの英雄マゼッパが馬を操り勇ましく戦う様子を描いた作品ですが、3部形式かつ変奏曲形式になっており、中間部を挟んだ1、3部は似た形になっています。その1部と3部のそれぞれ最後を見てみましょう。
マゼッパより1部の最後

まず1部の最後は減7の和音→Dの和音で完結しています。ここは戦いに勝利した場面でしょう。
同曲3部の最後

次に3部の最後を見ると、1部同様減7の和音→Dの和音で終わるかと見せかけて突如減7の和音による2回のスフォルツァンドで急ブレーキをかけ、減7の和音の連続により急激に速度を落として下に落ちていきます。
これはいったいどういう意味があるのでしょうか。これはあくまで私自身が持つイメージですが、あたかもここまで自由自在に駆け回ってきたマゼッパとその馬に、ついに放たれた弓が刺さり、人ものとも馬のものともわからぬ叫び声があがったと思ったら、先頭で戦っていた人間が馬から転げ落ちていくところに一気に視点がズームインし、その瞬間をスローモーションで見ているような印象を受けます。
ここまで軍を率いて数々の勝利を収めてきた英雄マゼッパの最期の瞬間です。
レチタティーボ及びコーダ

その後現れる悲劇的なレチタティーボ。まだマゼッパは息を引き取っていません。
特徴的な
モティーフA、これは死にゆく彼の最後の声です。二度それを繰り返したのは一回は妻の名前であり、二回目は子供の名前かもしれません。
この声に挟まれてオーケストラのような間奏(
モティーフB)が入りますが、私はこれをマゼッパの心臓の鼓動であるととらえます。これは二度現れますが、レチタティーボ中185小節目を最後にマゼッパの呼吸は止ります。従ってその後のマゼッパの3回の声は彼の心の中の、この世で本当に最後の「声」にならぬ「声」であり、それはついに深淵な世界へと沈んでいきます。
しかし、最後はオーケストラのtuttiによってDの和音で一気に締めくくられます。これはマゼッパの死とひきかえに祖国に勝利がもたらされたことを象徴しているような気がします。
さて、このようなイメージをもったとき、二度のスフォルツァンド及びその後の落下していく減7、そして数度現れるモティーフAやモティーフBはどのようなデュナーミクで弾いたらいいのでしょうか。ここまで述べたのはあくまで私のイメージなのでここで結論を出すことはしませんが、とにかく
同じフレーズでも違う意味を持たせることによって変化をもたらし、聴いている側にそのイメージを共有させうる効果をもたらす、ということを理解して頂ければ幸いです。
>EntryTime at 2006/12/23 08:05<